転勤族妻(転妻)として生きて10数年。
引っ越し回数は、4回ほど・・・まだまだ甘ちゃんな転妻だと自覚しています。それでも、辞令から引っ越し・その後の手続きまでの猛烈な忙しさを思い出すと、遠い目をしてしまいます。
現在、子どもの(県外の)高校受験のサポートをしており、その防備録としてブログを立ち上げたのですが、たまの息抜きとして、転勤族の妻としての『思い』も吐き出してみようかな・・・というページです。
辞令から転勤までの怒濤の1ヶ月
我が家は、有り難いことに?辞令から転勤まで1ヶ月ほどの猶予があります。この1ヶ月間に主人は会社での引継ぎを行い、私は引っ越しに向けて身の回りの準備をします。
主人の会社では、居住する家は会社から指定されるのではなく、自分たちで探して決めることになっています。新居は主人の意向もあり私一人では決められないので、夫婦で決めます。転勤族の中には、家は会社から決められていて、辞令から1週間で転勤!という強者もいます。
しかし、我が家は1ヶ月もあるから転勤まで時間的余裕があり、本当に有り難いですね。
・・・・・・本当に『有り難い』のでしょうか!?
主人の会社では、らくらくパックといって梱包から全て引っ越し業者に任せられるプランを利用できます。
だから、引っ越しは全てを業者に任せられるから楽チンです!
・・・・・・本当に楽チンでしょうか!?
過去に初めて家族丸ごとの引っ越しを経験して分かったことですが、梱包が全っ然!間に合わない。らくらくパックだから業者にお任せして、私達は何にもせず引っ越しができる・・・訳ではありません。
そのことを痛感した私は、2度目の引っ越しの際は、主人の辞令が出て直ぐに荷造りを開始し、引っ越しで必要とされる準備を進めていきました。
通常、引越しの際は、引越業者から段ボールが支給されます。ただ、辞令が出てから引越し業者が我が家に段ボールを届けてくれるまで時間があります。なぜなら、引越し業者は、辞令が出てすぐに決まるわけではないのです。
段ボールが届くのを待っている時間すら勿体ないので、先に大きいケースを購入して、梱包作業を進めます。もちろん、ケース代は我が家の支払いです。
そして、梱包作業を進めながら以下の作業を進めます。
- 引越し先の家探し
- 住所登録しているサイトの洗い出し
- 公共料金やNHKへ転居の連絡
- 引越し前、引越し後に手続きが必要なものの洗い出し
- 子どもの学校へ転校の連絡
- 家が決まったら再度、学校へ連絡
- 役所への転居届
- 子どものクラスの子へ渡す別れの挨拶の品選び
- 近隣住民やお世話になった人に渡す挨拶の品選び
- 新居の近隣住民に配る挨拶の品選び
- 引越業者の人に渡すチップの購入
- 転勤先での病院(特に小児科)探し
- 居住すると思われる地域の治安を調べる 等・・・

日常の家事と子どもの世話に、上記事項が加わります。(引越しから7年も経ったので忘れてしまった作業もあるかもしれません。)また、当時、子どもがまだ小学1年生だっため、子ども自身の仲が良かった友達と遊ぶ約束をして日程を組み会食をしたりしてました。(子どもに挨拶させたい気持ちと、もちろん、私もお世話になったお母さん達に挨拶したい気持ちがありました。)
主人の転勤の辞令が出たら、転勤まで怒濤の1ヶ月を過ごすことになります。
荒れる家庭内
私は私で、期日までに引越しが無事に完了できるように準備を進めます。主人は主人で、仕事の引継ぎを1ヶ月の間でしなくてはなりません。ただでさえ帰宅の遅い主人、さらに帰宅が遅くなります。さらに休日出勤もあったりします。主人に休日があったとしても頭の中は引継ぎのことで一杯いっぱい。
上にも書きましたが、主人の意向もあり、私一人では新居を決めるわけにはいきません。新居を決めなくてはならないのに、なかなか夫婦で話をする機会がありません。
・・・・・・・・・家。決まらない。
引越し先の新居を決めたくても会社の引継ぎのことで頭が一杯な主人は、話し合いに乗り気でありません。しかし、新居を決めなくては進められない手続き事項が沢山あります。
なかなか新居が決まらないことにより引越し準備が進まない状況に私はピリピリし初め・・・
そんなピリピリした私に対して、主人もピリピリ・・・
家庭内は、ピリピリ、ピリピリ・・・

我が家では、引っ越さなくてはならないのに、なかなか新居が決まらない状態が続いたのです。
なかなか新居を探しに行こうとしない主人に痺れを切らして、私、一人で埼玉から長野までひとっ飛びしました。1人で新幹線に乗り現地で不動産屋さんと家の内覧をしに行ったのです。
長野県では奥さん一人で家を見に行く人は少ないのかもしれません。妻一人で内覧しに来たことに不動産屋さん、ちょっとビックリしてました。
さらに、家を内覧するにあたり、だいたいのチェックポイントが頭の中に入っている私は、一軒一軒の内覧をサッサと済ませて、どんどん次に行く私に、不動産屋さんは、またビックリ。期日までに引越しを終わらせなくてはならない転勤族妻には、新生活の想像を巡らせながら、ゆっくり(と言うより、ダラダラ)と内覧をしている暇はありません。
その上、私は既に長野市街地の地図を購入していて、小児科等の場所に付箋を貼り事前に地理について調べていました。その地図を見て、不動産屋さんはさらにビックリ。新しく住む土地にに頼れる人がいない転勤族妻は、新生活を早々に軌道にのせるためには、転居先の周辺情報を予め集めなくてはなりません。
不動産屋さんがビックリする様子を気にも留めず、私は、どんどん内覧を進めてサッサと新幹線で帰宅しました。無理が祟ったのでしょうか・・・翌週、私は発熱をして寝込んでしまいました。
結局、新居はどうなったかと言うと・・・
私が内覧しに行った家は、ことごとく主人に却下されました。引継ぎが一段落した頃に主人が一人で内覧しに行き、主人が気に入った部屋に決まりました。
とにかく新しい住所を決めたい私は、主人の意向に文句を言うはずもなく、住所が決まったことに、ただただ安堵した気持ちになりました。
そして、住所が決まったことによって開始できる引越しの手続きに取りかかります。

新居が決まったことにより、ピリピリした家庭内の雰囲気も徐々に緩和されていきました。
引越し当日も妻1人
今回の転勤は、子どもの学校のこともあり主人は先に転勤先に前乗りし、私と子どもは1ヶ月遅れで主人と合流することにしました。小学1年生の子どもに学期途中に転校させるのではなく、終業式まで1年間同じクラスでいさせてあげたかったのです。
主人が先に転勤先に行ってから私たちの引越しまでの間の1ヶ月、私は、家事育児の合間に残りの作業を進めます。
そして、引越しの送り出しは私1人が担当し、新居での迎え入れは主人1人が担当しました。
引越しの前日は、らくらくパックで荷造りをしてくれるスタッフが来てくれました。スタッフに全てお任せ・・・ではありません。時間通りに終了できるか分かりませんので、私も一緒に手伝います。子どもは、まだ小さかったので荷造りを手伝っているような、いないような・・・。4名ほどのスタッフが来てくれましたが、予定の時間ギリギリに完了。来てくれた人にチップ(クオカードにしました。)を渡して終わりました。
私は、転勤の辞令が出て、すぐに荷造りを開始したので時間通りに終了できましたが、これをやっていなかったら間違いなく作業は夜中まで掛かったと思います。
引越し当日は、私たちは、荷物の持ち運びを引越業者にお任せできるので、ただただ、作業が完了するのを待っていれば良い・・・かと言えば、そんなことはありません。掃除の行き届いていない箇所を発見する度に掃除機を掛けたり、雑巾で拭いたりします。引越し当日も予定通りの時間に終了することができました。用意してあった引越業者の人たちへのチップを渡します。その後は、使用した部屋の現状維持ができているか確認のた管理会社の人に立ち会いをします。
辞令が出てから、私と子どもの引越し当日まで約2ヶ月・・・ようやく引越作業の半分が終了し、束の間ですがホッとした気持ちになります。
ここまでは、新居へ引越しするまでのお話。この後は、新しい土地・新居での手続きと作業が待っています。その回顧録は、また後ほど・・・
約10年間、夫について行く転妻生活をして振り返り思うこと
失ったものは、大きい
私は、子どもが2歳になる前に主人の転勤の辞令があり、子どもと一緒に主人について行きました。『「ついて行く」という決断をした』と言うより、『ついて行かない』という思考自体がありませんでした。当時の私には、始めから転勤があると分かっている人と結婚したので、『夫の転勤 → ついて行くもの』という思考しかなかったのです。
令和の時代となった今では「夫の転勤について行くことは当たり前ではない」という考えも出てきたように思います。時代は変わっていることを実感します。
私は、主人の転勤について行くことにより、子どもを産んだ後も継続してきた仕事を手放しました。その後、約10年ほど専業主婦です。
もともと仕事は継続したいと思っていましたが、「いつ引っ越すか分からない状態」がネックとなり・・・「いつ子どもが病気になるか分からない状態」がネックとなり・・・そうこうしているうちにアッという間に専業主婦歴10年となってしまいました。
今では、転妻でも働ける!と強い意志をもって行動している方も拝見しますが、私にはソレができなかった。家族の引越作業の殆どを請け負い、知らない土地・慣れない土地でワンオペで子どもを育てる・・・今、振り返ると、私には、これで気力が終了していたのだと思います。

令和のこの時代、専業主婦は肩身が狭いと感じます。破格な富裕層の奥様なら誰も文句は言いません。しかし、普通のサラリーマン家庭の専業主婦に世間は冷たいように思います。
今では、専業主婦時代に取得した資格が強みとなり、アルバイトですが僅かながら社会に触れることができています。しかし、このアルバイトも家庭の都合で数ヶ月後に辞めなくてはなりません。そして、また家族の引越し作業の殆どを請け負い、新しい土地で今度は母と子の生活となります。(主人は単身赴任になります。)
いつまでも「自分」が持てない状況に虚しさを感じます。私個人の気力が足りなかったという事実もありますので自己責任と言えば、そうなのかもしれません。それでも・・・
『失ったものは、大きい』です。
得たものはあるか
私個人は、「失ったものは、大きい」かもしれませんが、家族単位で考えると、そうでもないのかもしれません。
家族帯同で主人の転勤について行ったおかげで、家族の時間が持てました。困ったことがあっても夫婦で乗り切るしかありません。いえ、正直、母一人で踏ん張ることが多いのかもしれません。それでも、夫が一緒に住んで「いる」のと「いない」のでは、大きな差があるように思います。
主人に帯同した結果、私は、専業主婦になりましたが、専業主婦でいたから子どもと向き合う時間は多かったと思います。「子どもに心から向き合い、色々と精一杯やってきた」と、自信を持って言えます。(あまりにも子どもの気持ちに向き合い、寄り添いすぎて、子ども自身の成長や大人になってからの人生に良かったのかどうか・・・、一生懸命にやり過ぎたのではないか・・・と思い悩むこともありますが。)
そして、子どもが中学生となった今、子どもと主人は仲が良いです。中学生は、父親のことを疎ましく思うことが多くなる年齢のようですが、我が家では、そんなことは一切ありません。「ご主人の努力があるから、思春期でも父と子の仲が良くいられるのよ。」と、言われたこともありましたが、果たして主人の努力だけの成果でしょうか!?
私は、そうは思いません。家族帯同を続ける転勤族の家庭は、周りに頼れる親族も知り合いもなく、家族のみで知らぬ土地・慣れない土地にポンっと放り出されて生活をしなくてはなりません。家族がバラバラではやっていけない現実が、そこにはあるのです。だから、
家族の結束は、強まります。

このように、確かに失ったものは大きいですが、確実に得ているものもあると思います。だからと言って、引越しの多い転勤族はオススメしません。今後、社会の働き方が変わっていき、いつか「転勤族の妻」「転妻」という言葉自体が古い言葉となり、「夫の転勤について回る人生を送る女性達・子ども達がいた」という事実が過去のものになればいいなぁ・・・と、思います。
最近、転勤族であるがゆえにできた、将来、ささやかな楽しみができました。子どもが社会人となり子育てが一段落したら、今まで住んできた土地とその観光地をゆっくり巡ることです。まだまだ先の話では、ありますが・・・。
以上が、「転勤族の妻」「転妻」を約10年続けた私の『思い』でした。もしかしたら、この先、この『思い』も変わってくるのかもしれません。夫の会社の辞令によって人生が変わってしまう全ての「転勤族の妻」「転妻」達に素敵な未来が待っていますように・・・
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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